広まるね(新約聖書マタイ福音書4:23〜24)

     私はいま、新約聖書のマタイによる福音書を読んでいますが、4章23節〜24節にこう書いてあります。
     イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。そこで、イエスの評判がシリア中に広まった。人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取りつかれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れて来たので、これらの人々をいやされた。
    (新約聖書 マタイ4:23〜24)

     私って、お祈り一つで、サッカーの試合でオオグロを出したり、瀕死のオバちゃんを蘇生させたりしてますよね。いまはインターネットの時代ですし、私自身ブログで情報発信しているのだから、私のことは広まるでしょうね。
  • 2016.07.23 Saturday
  • 17:15
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祈るということ--平和は自分に戻る

     久々にカテゴリー「聖書」の更新です。先日、「自分の理解を超えることなど、いくらでもあるのだから、腹が立つようなことがあっても、神に中傷してはならない」と書きました。これに関連して聖句を紹介します。
    その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。家の人々がそれを受けるにふさわしければ、あなたがたの願う平和は彼らに与えられる。もし、ふさわしくなければ、その平和はあなたがたに返ってくる。あなたがたを迎え入れもせず、あなたがたの言葉に耳を傾けようともしない者がいたら、その家や町を出て行くとき、足の埃を払い落としなさい。はっきり言っておく。裁きの日には、この町よりも、ソドムやゴモラの地の方が軽い罰で済む。
    新約聖書マタイ福音書10章12節〜15節

  • 2012.05.28 Monday
  • 00:27
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奇跡の話

     今日、母を見舞いに病院へ行く道々、聖書の奇跡の話を思い出したので、いくつか紹介します。
     さて、イエスがカペナウムに帰ってこられたとき、ある百卒長がみもとにきて訴えて言った、「主よ、わたしの僕(しもべ)が中風でひどく苦しんで、家で寝ています」。イエスは彼に、「わたしが行ってなおしてあげよう」と言われた。そこで百卒長は答えて言った、「主よ、わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。ただ、お言葉を下さい。そうすれば僕はなおります。― 中略 ― 」。イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた人々に言われた、「よく聞きなさい。イスラエル人の中にも、これほどの信仰を見たことがない。― 中略 ― それからイエスは百卒長に「行け、あなたの信じたとおりになるように」と言われた。すると、ちょうどその時に、僕はいやされた。

    マタイによる福音書第8章5〜13節
     それから、イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った。すると突然、海上に激しい暴風が起こって、舟は波にのまれそうになった。ところが、イエスは眠っておられた。そこで弟子たちはみそばに寄ってきてイエスを起こし、「主よ、お助けください、わたしたちは死にそうです」と言った。するとイエスは彼らに言われた、「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちよ」。それから起きあがって、風と海とをおしかりになると、大なぎになった。彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人なのだろう。風も海も従わせるとは」。

    マタイによる福音書第8章23〜27節
     これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、「わたしの娘がただ今死にました。しかしおいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」。そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子たちも一緒に行った。するとそのとき、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。すると女はその時に、いやされた。それからイエスは司の家に着き、笛吹きどもや騒いでいる群衆を見て言われた。「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」。すると人々はイエスをあざ笑った。しかし、群衆を外に出したのち、イエスは内にはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。そして、そのうわさがこの地方全体にひろまった。

    マタイによる福音書第9章18〜26節


  • 2011.01.18 Tuesday
  • 23:08
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神の言葉の成就の仕方

     久々のカテゴリー聖書の更新です。
     思うところあって今回は、「神の言葉の成就の仕方」というテーマで、すでに読んだ「創世記第37章1節〜出エジプト記第1章10節」に追記してみたいと思います。

    ハート


     私がこの度この箇所を「神の言葉の成就の仕方」という題で取り上げたのは、神の言葉の成就の仕方が、この部分にとても分かりやすく書かれているからにほかなりません。
     まず、神の言葉が夢の中でヨセフに告げられます。それをヨセフが一人自分に胸に秘めていれば、ヨセフは売り飛ばされずにすんだのに、ヨセフは兄弟にしゃべってしまいました。これが神の言葉の成就に向けた第一歩で、しゃべらなければ、商人にもエジプト王パロの役人にも売り飛ばされないし、エジプトを飢饉から救うこともないし、親兄弟をエジプトに招くこともありません。結果的に、父母兄弟が地に伏して自分を拝むというヨセフの夢が成就したのですが、ヨセフが自分の見た夢を兄弟にしゃべったとき、夢を成就させようと思ってしゃべったわけではありませんね。また兄弟がヨセフを商人に売り飛ばしたのも憎しみからで、ヨセフの見た夢の成就に一役買おうと思ったわけではありません。この物語の中に、ヨセフの夢(=神のお告げ)の成就のために頑張った人間は一人もいないのです。
     敬虔なヨセフは兄弟にこう言っています。
    「わたしをここに売ったのを嘆くことも、悔やむこともいりません。― 中略 ― 神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救いをもってあなたがたの命を助けるために、わたしをあなたがたよりさきにつかわされたのです。
    (創世記第45章5〜7節 口語訳旧約聖書64蓮
     これ正解です。
  • 2010.01.05 Tuesday
  • 23:00
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マタイによる福音書 第 6章 34節

    だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。
    マタイによる福音書 / 6章 34節(口語訳)

    ハート


     この聖句を読んで、「なんとまぁ、オメデタイ」と思う人がいるかもしれません。実際にそう言う人がいたんですが、でもこれ、何も考えずに能天気に生きるというのとは違います。一瞬に生きるという意味なんですよ。だって、今日の苦労はしなくていいとは書いてないから。今日の苦労はちゃんとしろって言ってるんですよ。
      カテゴリー聖書、久々の更新で、旧約聖書から順々に読むはずのところ、一気に新訳聖書のマタイ伝です。理由はこの記事によります。
    「一瞬に生きるが一瞬にして分かる」をブログに上げたときから、「あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である」という聖句の意味が、一瞬に生きるであるブログに書こうと思ってたんです。
  • 2009.08.28 Friday
  • 23:51
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創世記11章27節〜36章43節 追記イサクとイシマエル

    旧約聖書の創世記11章27節〜36章43節を読んだとき、読んだ中身についてほとんど書きませんでした。大事なところなので、追記することにしました。


    イサクとイシマエル

     さて、神はアブラハムに「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」と、約束されたものの、アブラハムも妻のサラ(=サライ)も高齢で、子どもがいませんでした。そこでサラは自分の仕え女(つかえめ)ハガルをアブラハムに妻として与え、ハガルは男の子を産みました。アブラハムはこの子をイシマエルと名づけました。
     ところがその後、妻のサラも男の子を産みました。アブラハムはその子をイサクと名づけました。男の子二人は乳離れするのですが、サラは自分が産んだイサクが、ハガルが産んだイシマエルと遊んでいるのを見て、ハガルとイシマエルを追い出してくれとアブラハムに頼みます。イシマエルのことを心配しているアブラハムに、神は言いました。
    「このわらべのため、またあなたのはしためのために心配することはない。皿があなたに言うことはすべて聞き入れなさい。イサクに生まれるものが、あなたの子孫と唱えられるからです。しかし、はしための子もあなたの子ですから、これも、一つの国民とします」(創世記21:12〜13)。
     翌朝早く、アブラハムはパンと水の皮袋をハガルに与え、イシマエルを連れ去らせたので、ハガルは荒野をさまよいます。やがて皮袋の水が尽き、ハガルはイシマエルが死ぬのを見るのはつらいからと、イシマエルから離れたところにイシマエルのほう向いて座りました。イシマエルが声をあげて泣いたとき、神はその声を聞き、神のみ使いが天からハガルに言いました。
    「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。立って行き、わらべを取り上げてあなたの手に抱きなさい。わたしは彼を大いなる国民とするであろう」。
     するとハガルは水のある井戸を見つけ、皮袋に水を満たしイシマエルに飲ませました。イシマエルは成長し、バランの荒野に住みました。ハガルはイシマエルのためにエジプトから妻を迎えました。

    ! ここで出てくるイサクの子孫がユダヤ人の祖となり、イシマエルの子孫がアラブ人の祖となります。
  • 2008.08.24 Sunday
  • 16:24
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創世記11章27節〜36章43節 追記

     旧約聖書の創世記11章27節〜36章43節を読んだとき、読んだ中身についてほとんど書きませんでした。大事なところなので、追記することにしました。

    ソドムとゴモラ

     カナンの地が、アブラムとロトを、共に住まわせられるほど肥沃ではなかったので、ロトはソドムに住むことになったのですが、ソドムとゴモラは肥沃ではあったけれど、そこに住む人々が非常に悪かったので、神はこの二つの町を滅ぼすことにしました。神からこの計画を知らされるとアブラムは、正しいものを悪いものと一緒に滅ぼすのかと、神に問いかけます。「正しいものが50人だったら?」「滅ぼさない」「45人だったら?」……ついに「10人いれば滅ぼさない」という言質を神から取るのですが、ソドムには正しい人が10人いなかったんですね。二人のみ使いがロトの前に現れ、この町を神が滅ぼすから、身内のものを連れて出るように言いました。み使いの言葉に従って、ロトと共にソドムを出たのは、ロトの妻と二人の娘です。娘たちをめとる婿たちは、み使いの言葉がたわむれごとに思えたので、従いませんでした。ロトの妻も、逃げるときに後ろを振り返ってはならないという戒めに従わずに振り返ったので、塩の柱になってしまいました。
  • 2008.06.23 Monday
  • 01:36
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創世記11章27節〜36章43節 追記

     旧約聖書の創世記11章27節〜36章43節を読んだとき、読んだ中身についてほとんど書きませんでした。大事なところなので、追記することにしました。


    アブラハムの登場
     ユダヤ人の歴史はアブラハム(当初の名前はアブラム)が神と遭遇したところから始まるというのが定説なので、このたび聖書を読むにあたって、アブラハム以前の話はすっ飛ばしたのですが、アブラハムの系図をみるため、少しさかのぼってみます。

    .離△糧⊇ 人が地のおもてに増え始め、人の悪が地にはびこり、人の、その心に思いはかることが悪いことばかりであるのを見て、神は地の上に人を作ったのを悔やみ、地のおもてから人を拭い去ることにしました。神は、神の前に正しい人ノアに箱舟を作るように命じ、ノアの家族と、すべての生き物の雌雄一つずつを箱舟に入れさせ、あとは全部洪水で滅ぼしてしまいました。これがノアの箱舟の話の大筋で、箱舟から出たノアの子はセム・ハム・ヤペテの三人で、全地の民は、この三人から広がったことになります。

    ▲謄 この三人のうちのセムの子孫、セムから数えて八代目のテラが、アブラハムの父親です。テラは家族と一緒にカルデヤのウルを出てハランに住みます。テラと一緒にハランに住んだのは、アブラムと父テラに先立って死んだアブラムの弟の子のロト(=テラの孫)とアブラムの妻サライです。テラはハランで死にます。創世記第11章はテラの死で終わっています。

    関連地図


    神の出現 創世記第12章の初っ端で、神はアブラムこ唐突に現れて言いました。「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい」(創世記12:1)。アブラムは神に言われたように、弟の子ロトと妻のサライとともに、カナンに来ました。神はまたアブラムに現れて言いました。「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」(創世記12:7)。
     アブラムも路ロトも、家畜や金銀や天幕など、多くの財産を持っていました。が、カナンの地は、アブラムとロトを、共に住まわせられるほど肥沃ではなく、アブラムの家畜の牧者とロトの家畜の牧者との間に争いが起こったので、二人は別れて暮らすことになりました。アブラムはカナンに住み、ロトはソドムに住むことになりました。ロトと別れた後、神はアブラムにまた言いました。「すべてあなたが見わたす地は、永久にあなたとあなたの子孫に与えます。わたしはあなたの子孫を地のちりのように多くします」(創世記13:15〜16)。
  • 2008.06.17 Tuesday
  • 16:40
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創世記第37章1節〜出エジプト記第1章10節


     創世記第37章1節〜出エジプト記第1章10節を読み終えました。
     今回読んだ創世記第37章1節〜出エジプト記第1章10節は、「神の世界史 ユダヤ教」では「第一章 約束の地へ」のなかの「ヨセフの栄光」の節に当たる部分です。


     ヨセフは、父ヤコブ(後にイスラエルと改名)にひとしお可愛がられていただけでなく、父母兄弟が地に伏して自分を拝むという夢を見たと語ったため、兄弟からねたまれ、商人に売り渡され、商人はエジプトでパロ(王)の役人にヨセフを売りました。このヨセフがパロの見た夢を見事に解き明かし、エジプトを襲う飢饉に備えたため、エジプトは飢饉を無事乗り越えることができ、ヨセフはパロから国の司とされます。
     飢饉はエジプトだけでなく全地を襲ったので、エジプトに備蓄されている穀物を買い求めに諸国からヨセフのところに人が来ました。その中にヨセフを売り渡した兄弟もいました。
    「私をここに売ったのを嘆くことも悔やむこともない。神は、あなたがたのすえを地に残すため、また大いなる救いを持ってあなたがたの命を助けるために、私をあなたがたよりさきにつかわされたのだ」と、ヨセフは、自分がエジプトに来てエジプトの司となり、飢饉に備えたことを神の御業であるとし、父と兄弟をエジプトに招きます。エジプト王パロにも、ヨセフの一族は大事に歓迎されます。と、ここまでが旧約聖書の創世記です。 
     続く出エジプト記は、第一章に「ヨセフも兄弟も、その時代の人々がみな死んだ。けれどもイスラエルの子孫は多くの子を生み、国に満ちた」と書いてあるから、ヤコブ(イスラエル)の子孫の話になるのですが、ヨセフのことを知らない新しい王がエジプト王になり、
    「イスラエルの民は多く、強すぎる」と、イスラエルの民に奴隷として扱い、重い労役で彼らを苦しめました。それでもイスラエルの民が増え広がるので、王はイスラエルの民に男の子が生まれたなら、川に投げ込むように命じます。これが出エジプト記の第一章です。

  • 2008.03.07 Friday
  • 01:49
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創世記11章27節〜36章43節

     先日書いたように、「神の世界史 ユダヤ教」(小滝透 河出書房新社)に沿って旧約聖書を読み始めています。今回読んだのは、創世記11章27節〜36章43節で、これまでにも何度か読んでいる箇所なのですが、今回は明確な目的意識があるので、これまでとは読み方が違います。
     さて、今回読んだ創世記11章27節〜36章43節は、前出の「神の世界史 ユダヤ教」では、「第一章 約束の地へ」の中の「ユダヤ人の誕生」「神との遭遇」の部分です。
     ユダヤ人の歴史は、アブラハム(当初の名前はアブラム)が神と遭遇したところから始まるというのが定説なのだそうで、「天地創造」「アダムとイブ」「ノアの箱舟」など、アブラハム以前の話は今回はすっ飛ばしました。
  • 2008.03.04 Tuesday
  • 02:36
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