「西遊記」(福音館古典童話シリーズ)


    内容紹介
    如意棒片手にひとたび觔斗雲にうちまたがれば、
    十万八千里もひとっ飛び、ご存じ孫悟空の物語。
    天宮を騒がせ、お釈迦様に五行山の下に閉じこめられた悟空は、
    500年後、縁あって三蔵法師に救われ、猪八戒、沙悟浄とともに、
    仏典をもとめて遙か天竺は雷音寺へめざして取経の旅にでます。
    手を替え品を替え襲ってくる妖怪変化の群れ。
    はたしていかなる運命が一行を待ち受けているのでしょうか。
    小学校上級以上。

    出版社からのコメント
    中国の文学作品のなかでもずばぬけて面白いこの「西遊記」は、
    日本では古く江戸時代から親しまれ、多くの読者に愛されてきました。
    現存する最古のテキストに拠り、民間に伝えられていた宋代の講談の調子を生かした
    君島久子さんの名訳にのせて語られる悟空たちの活躍は、痛快無比。まるでその場面を実際にみてきたかのような、瀬川康男さんの挿絵は、
    3年の歳月をかけて描かれたもの。悟空も、妖怪変化も、本の中を所狭しと暴れ回ります。


     このところブログの更新の間隔が空いていますが、書き物(弁護士A)や読書に時間を割いての事です。
     2月中は「西遊記}を読んでいました。「弁護士A……」を書いていて、『孫悟空みたいなもんよ。飛んだり跳ねたり、滑ったり転んだりしても、しょせん世界の果てもお釈迦様の手のひらの上ってことなのよ。』と、弁護士A相手にしゃべったなと思いだしたので、確認を取る意味で読んでみたのです。
     この「西遊記」の日本語訳は複数出ていて、私が読んだのは福音館書店のものです。その後アマゾンで調べたら、岩波文庫からも、優れた訳が出ているようです。読み直そうとは思いませんが、映画化、アニメ化されているなら観てみたいです。




  • 2017.03.14 Tuesday
  • 14:13
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「問いかけるイエス」購入



    商品の説明
    内容(「BOOK」データベースより)
    聖書の中に宿されたイエスのメッセージ、その多様性と現代性。イエスの問いかけに私たちはどうこたえるか。

    内容(「MARC」データベースより)
    聖書の中に宿されたイエスのメッセージ、その多様性と現代性。イエスの問いかけに私たちは、どうこたえるか。福音書の中から、イエス自身の言葉を27選び、福音書を読み解きながら、イエスと現代との関わりを探ってゆく。



     一昨日の木曜日に、久しぶりにカトリック教会の聖書勉強クラスに出ました。このクラスでは、「問いかけるイエス」という本を読み進めています。9月に参加した当初にも、この本を買おうと思ってネットで調べたのですが、バカに高価で手が出ず、豊島区立図書館で借りては返しを繰り返していました。しかし図書館の本ですから、書き込みもできないのでナントカならないかと再度ネットで調べたところ、アマゾンで中古品が1円から売られていました。書き込みのないきれいなものを選び、500円に送料257円で購入しました。サボらずに勉強クラスに出ようと思います。
  • 2017.01.14 Saturday
  • 08:37
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「英語で読む 世界昔ばなし」


    商品の説明
    内容紹介


    世界の有名な昔ばなしを良質のやさしい英語で紹介。「白雪姫」「アリ・ババと40人の盗賊」「ヘンゼルとグレーテル」「3匹の子ぶた」「パンドラの箱」を収録。


     昨日から、英語読みものをディズニーのクマのプーさんから、ジャパンタイムズ社の「英語で読む 世界昔ばなし1」に切り替えています。
     クマのプーさんは図書館で借りたもので、返却期限までまだ数日あるけれど、いずれ返さなくてはならないし、借り物だから書き込みもできません。幸い、もう何年も前にジュンク堂で買った「英語で読む 世界昔ばなし1」が手元にあったので、これを読むことにしたのです。
     英文はディズニーの英語より難しいです。「やさしい英語」という触れ込みですが、英文法をちゃんと勉強していないと読めませんし、実際読めなかったんです。ここ数年、参考書で勉強したお陰で、読めるようになってきたし、込み入った英文を書けるようになるためには(英作文)、やはり込み入った英文を読んで訓練する必要があるわけで、それにはディズニーの英語は物足りない。
     この「英語で読む 世界昔ばなし」も語注が付いていて、辞書なしで読めるようになっていますが、私は辞書引くの大好きということもあって、語注はほとんど見ずに丁寧に辞書を引いています。
  • 2016.09.21 Wednesday
  • 17:55
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いま読んでいる本「キリスト教神学入門」


    商品の説明
    内容(「BOOK」データベースより)

    初めて神学を学ぶ人から教職者まで、必携の手引き。神学の歴史・方法・内容を一冊で網羅。最新の情報と議論に基づき、しかも古代から現代までの神学のテーマを系統的に学べる。英語圏で最も広く使われている入門書の最新版からの翻訳。用語解説・索引・インターネットサイトの紹介など充実した付録付き。

    ★ ★ ★

     いま「キリスト教神学入門」という本を読んでいます。ポチポチ少しずつです。本書を私が買ったのは、引照付き新共同訳聖書と同様に、佐藤優さんの「はじめての宗教論 右巻」の中で佐藤さんが推薦されていたからなので、もう何年も前ですが、読もう読もうと思いながら、いままで積読でした。それを読み始めているのです。
     その38頁にこう書いてあります。
     テルトゥリアヌスがとった道も、これに似たものであった。彼によれば、聖書は全体として読むのであれば、はっきりと理解され得るものである。もっとも、ある箇所の解釈について議論が生じるのは不可避であるとも、彼は認める。彼の悲観的な観察によれば、異端とは、多かれ少なかれ、自分たちの好きなことを聖書に言わせたがるのである。それゆえに、教会の伝統が非常に重要になってくる。
    (「キリスト教神学入門」38ページ)

     これは意味深い言葉だと思います。
     で、本書を読み始めるのと同時に私は、聖書の通読にチャレンジしています。読み方は、新約聖書マタイによる福音書・ヨハネによる福音書・使徒行伝を読んでから、旧約聖書を読むという順番です。


  • 2016.07.23 Saturday
  • 12:21
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「はじめての宗教論」(佐藤優著 NHK出版 生活人新書)


    論壇の雄にして「知の怪物」による究極の入門書、ここに登場!

    合理的な「見える世界」が支配するこの時代。しかし、人間の「見えない世界」への関心と結びつき、スピリチュアル・ブームから政治の領域まで、宗教は様々なところに顔を出す。キリスト教神学に照準し、聖書の正しい読み方から神学的思考の本質までを明快に解説。21世紀を生き抜くための知的体力が身につく、著者渾身の書き下ろし!
    アマゾンより

    ★ ★ ★


     佐藤優さんの「はじめての宗教論 右巻」の感想を書きます。
     アマゾンの記録によると、私がこの本を買ったのは2010年1月5日です。発行が2009年12月10日だから、間もない頃に買ったことになりますが、読み始めてみると、もーのすごくつまらなかったので、私は最後まで読まずに放り投げてしいました。本来なら、これっきりになるところ、山崎行太郎さんが、哲研やブログでしばしば佐藤優さんの名前を出すので、再度読み返して感想をブログに書くことにしました。

     本書は右巻と左巻から成っていて、私の手元にあるのは右巻だけです。この右巻の序章(30頁)に、
    私は本書で、プロテスタントの視点からはこういうふうに世界が見えるということを正直に述べます。私と違う考えをもち、私と違う視点の人も、とりあえず私の話に付き合って、この船に一緒に乗ってみてください。−略−最後までお付き合いいただければ幸いです。

     と、書いてありますが、やはり今回も、最後までお付き合い(読み通す)する気にはなれませんでした。
     アマゾンのレビューで高く評価されていたので、私はそれに引かれて買ったのだと思いますが、私が本書を購入した2010年1月5日時点では、アマゾンには高評価しかなく、批判的なレビューが出てくるのは、2010年1月16日以降のことです。
     その批判的なレビューには、私が感じたこととほぼ同じ事が書いてあります。

     私は佐藤さんが本書を誰に読まそうとしているのか分からないんです。「渾身の書き下ろし」という商品説明になっていますが、「役に立つ神学」というタイトルで「月刊プレイボーイ」に連載されていたようです。ということは、「月刊プレイボーイ」の定期購読者向けに書いたのでしょうか。プレイボーイの愛読者のなかにも、宗教に関心のある人や救済を求める人はいるでしょうけど、なんだか素人相手にムチャクチャ書いてるような気がします。

     私は日本聖書協会の引照つき新共同訳聖書を2011年7月に買っています。実はこれ、本書の中で佐藤さんが、聖書を正しく読むには、聖書は引照付きがいいと言われているので買ったのです。本書自体は、聖書や哲学書や神学書の引用につぐ引用で、話の進め方も脱線につぐ脱線で、佐藤さんが何を言いたいのかつかめない。こんなものを読み進めるくらいなら、聖書を真っ直ぐに読んだほうがいいと思ったからなのですが、私の手元には引照なしの口語訳聖書があるだけだし、池袋の大型書店でも聖書は取り扱っているけれども、引照付きはなかったので、銀座の教文館まで出掛けて行ったのです。

     ではここで、佐藤さんオススメの引照つき新共同訳聖書で確認を取りながら、佐藤さんのムチャクチャぶりを示してみたいと思います。
    『第2章 聖書の正しい読み方』の『「人はパンのみに生くるにあらず」の意味』(62〜63頁)に、こう書いてあります。
    たとえば「人はパンのみに生くるにあらず」というのは結構有名なフレーズですね。これは通常の解釈では、人はパンだけで生きるのではなく、何か精神的なもの、宗教的なものに頼って生きていることになる。物質的世界と精神的世界という二元論で捉えられている。しかし、この読み方は完全に間違いです。なぜならば、この部分は旧約聖書の「天からのマナ」というところのコンテクストで言われているからです。
     モーセがエジプトを抜け出して、エジプトで捕虜になっていたユダヤ人たちを連れてシナイ半島を歩いているときのことです。食べ物が全部なくなると、天からマナというものが降ってきた。そのマナというものを食べて命をつなぐことができたということです。マナは乾燥地帯の植物に付着した昆虫の分泌物が結晶化したものとされています。
     引照付きの聖書を見ると、イエスはこの箇所との関係において「人はパンのみに生くるにあらず」と言っていることがわかります。これはどういうことかというと、パンがなくても神様が「天からのマナ」のような最低限必要な食べる物を与えてくれるので、人間は生きていくことができるということです。フーテンの寅さんがよくタコ社長に言う「稼ぎに追いつく貧乏なし」と同じことで、人間はカネがないとか、食い物がないとか言っても必ず食っていくことができるということ。つまり、徹底した物質の世界の話なのです。
    「はじめての宗教論 右巻」62頁〜63頁

     まず、「人はパンのみに生くるにあらず」というフレーズは、新約聖書のマタイ福音書4章4節に出てきますが、マタイ4章4節には、こう書いてあります。
     イエスはお答になった。(x)「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある」
    (マタイ 4:4、  新約聖書 新共同訳4頁 口語訳4頁)

     そして(x)が指す旧約聖書申命記8章3節には、こう書いてあります。
     主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。(f)人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。
    (申命記 8:3、 旧約聖書 新共同訳294頁 口語訳258頁)

     そして(f)が指す旧約聖書申命記32章47節・旧約アモス書8章11節・新約マタイ4章4節には、こう書いてあります。
     それは、あなたたちにとって決してむなしい言葉ではなく、あなたたちの命である。この言葉によって、あなたたちはヨルダン川を渡って得る土地で長く生きることができる。
    (申命記 32:47、 旧約聖書新共同訳335頁 口語訳297頁)


    見よ、その日が来ればと 
    主なる神は言われる。
    わたしは大地に飢えを送る。
    それはパンに飢えることでもなく、
    水に渇くことでもなく、
    主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。
    (アモス 8:11、旧約聖書 新共同訳1440頁 口語訳1277頁)

     
     イエスはお答になった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある」
    (マタイ 4:4、  新約聖書 新共同訳4頁 口語訳4頁)

     上記聖書引用から、「人はパンのみに生くるにあらず」の意味が、「稼ぎに追いつく貧乏なし」と同じことで、人間はカネがないとか、食い物がないとか言っても必ず食っていくことができるということ。つまり、徹底した物質の世界の話になるでしょうか。
     池袋の大型書店でも引照付き聖書は買えなかったので、私は銀座の教文館に出掛けましたが、プレイボーイの愛読者が、佐藤さんの記述を確認するために、教文館まで行くとは思えない。要するに、素人相手にムチャクチャ書いてるんじゃないかと思うのです。
     そうではなくて佐藤さんが、大学の神学部で学ぶ人に読まそうとしているなら、失敗と思います。神学部の学生の周囲には、神学部の先生がいるし、神学部に進む人ならば、牧師のいる教会にも通っているはずなので、佐藤さんがムチャクチャ書いているのがバレちゃうんですよ。それとも同志社の先生方はみなさん、このように学生を指導しているのでしょうか。
     キリストって、暴風を止めたりしていますが(マタイ8:23〜)、「こういうことって本当にあったんだろうか」と、牧師の間で議論しているようだから、教会の牧師もあまりあてにはなりませんが、それでも、吹けば飛ぶような小さな教会の牧師でさえ、こんなムチャクチャ言いません。もう少し傾聴に値する話をしています。この「傾聴に値する話」というのが「主の言葉」「神の口から出る言葉」で、これを求めて人々は教会に行ったり聖書を読んだりしているのではないでしょうか。なんだか私、教会に行きたくなってきましたよ。

     これくらいにしておきますが、引照付き聖書はアマゾンでも買えますね。↓
     



  • 2016.07.06 Wednesday
  • 12:04
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「鹿の王 (下)」(上橋菜穂子 角川書店)


    内容紹介

    2015年本屋大賞受賞!

    何者かに攫われたユナを追うヴァン。同じ頃、医術師ホッサルは移住民に広がる謎の病の治療法を探していた。ヴァンとホッサル。ふたりの男たちが愛する人々、この地に生きる人々を守るため、選んだ道は――!?

    内容(「BOOK」データベースより)

    不思議な犬たちと出会ってから、その身に異変が起きていたヴァン。何者かに攫われたユナを追うヴァンは、謎の病の背後にいた思いがけない存在と向き合うことになる。同じ頃、移住民だけが罹ると噂される病が広がる王幡領では、医術師ホッサルが懸命に、その治療法を探していた。ヴァンとホッサル。ふたりの男たちが、愛する人々を守るため、この地に生きる人々を救うために選んだ道は―!?


    ★ ★ ★

     上橋菜穂子さんの「鹿の王(下)」を読み終えました。この本の続きなんですが、図書館の予約が多く、ようやっと私の番になったのです。半年待ったことになりますし、私の後にも待っている人がいて返却期限延長もできないので、取り急ぎ読書記録だけアップしておきます。本書を読んで私が一番共感したのは次の引用部分です。
     古オタワル王国の時代からいまに至るまで、オタワルの人々はさまざまな薬の開発に心血を注いできたが、その研究の歴史の中でも、飛び抜けて大きな意味のある発明は顕微鏡の制作であった。
     顕微鏡のお陰で、オタワル人は、病を引き起こすものの姿を、初めて、目で見て観察することができるようになったのである。
    本書176頁

     私は、アフリカに出現した人類が酷寒の地にまで広がっていく過程に関心があり、できることならこの時代の事を小説にしてみたいとも思っているんですが、人類が酷寒の地にまで広がるためには、動物の毛皮をまとうだけではだめで、これを服に仕立てなくてはならない。つまり、針と糸の発明を待たなくてはならなかった。気が遠くなるような長い時間がかかっています。こういうことを考えていると、私、胸がときめいてしまうんです。
  • 2016.06.20 Monday
  • 19:19
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「長崎原爆記」と「体質と食物」(秋月辰一郎)

     

     秋月辰一郎さんの「長崎原爆記」と「体質と食物」を読み終えました。なお私が読んだ『長崎原爆記』は平和文庫のものではなく、「日本の原爆記録 9」(日本図書センター)収録のもので、以下引用ページはこれによります。

     私に差し迫った問題としてあるのは、両親から耳がタコになるほど聞かされている東京大空襲なので、広島長崎のことは、これ以上追いかけないと、井伏鱒二さんの「黒い雨」の感想文で書きましたが、秋月辰一郎さんの著書だけは別格です。
     癌で亡くなった人が生前書いていた手記・闘病記のようなものは、読んでいるだけで免疫力が下がるから読まないほうがいい。読むならば、癌を克服し、癌から生還した人が書いたものを読めと、ネットで読んだことがあります。そういう意味合いで秋月さんのものは別格なのです。

    「長崎原爆記」 
     秋月さんはお医者様で、昭和20年8月9日に勤務先の長崎の浦上第一病院で被爆しています。浦上第一病院は爆心地から1800メートル離れていてピカドンの威力は減っているとは言え、病院は猛火に包まれます。
    私はふり向いて病院の大屋根を見上げた。病院は煉瓦の鉄筋コンクリート建てだが、大屋根は日本式の勾配をもった瓦ぶきであった。その大屋根の中央が二段破風づくりである。その破風の棟の一端がほんのわずかくすぶっている。炊事の煙ぐらい、くすぶっている。
    ――中略――
     病院の火はそれから次第に燃えひろがった。大屋根から発火したのは不思議というほかない。おそらく新型爆弾が投下された瞬間、その周囲の空気は爆心地で数千度、病院付近で何百度にもなるのだ。爆心地より千五百メートルまでの木造建物は、ただちに発火して大火災になった。爆心地より千メートル以内の土地は、鉄でさえも燃焼した。
     病院は、爆心地より千八百メートルのところにある。大屋根にほんのわずかの火が出た。十数日続いた日照りに、いままた何百度もの熱風に吹かれ、病院は薪のように乾燥して、火を吹いたのだろう(276頁)。

     井伏さんの「黒い雨」には、被爆者の救助看護のために広島入りした無傷で元気な人たちが、次々と原爆症で亡くなることが多々あったと書かれています。長崎も同じで、病院の焼け跡で被爆患者の救助や治療を行ったにもかかわらず、秋月さんとともに働いた従業員の中に、原爆症で倒れた人がいなかったのは、玄米とワカメの味噌汁によるものと秋月さんは確信し、書き残されているのです。
    「長崎原爆記」は原爆記ですから、味噌汁のことばかり書いてあるわけではありません。8月6日に広島に落ちた新型爆弾の噂はすでに長崎にも届いていました。9日朝、ピカドンにやられたときは、病院が直撃弾を受けたのかと思いますが、直撃弾を受けた割には皆軽傷で、不思議に思っていたところ、眼下の長崎市内は火の海で、自分たちは新型爆弾にやられたのだと気がつきますが、この新型爆弾が原子爆弾というものであることを知るのは、もう少し後のことです。

    八月十三日ごろに、菊花の御紋章入りのビラが大学の教授たちの手に入った。それは米軍が空からまいたものである。【日本のみなさん、広島、長崎に投下された新型爆弾はおそろしい原子爆弾です。天皇陛下にお願いして一日も早く降伏して下さい】
    ――中略――
     原子爆弾だったということが、やっと分かった。日本人が、大衆が、バケツで水をかけたり、竹槍をけずったり、芋の買い出しをしたり、そうしているうちに、米国で原子爆弾が作られていたのである。
    ――中略――
     これまで私は、全身火傷、ガラス創、木材・煉瓦による挫傷の治療にばかり当たった。しかし、新しい疾病にぶつかる。これらの症状は、ある場合には全く無傷であったのに忽然として起こった。しかも、一、二日のうちに、症状が激化して患者は死んでしまう。ある人には、四、五日から一週間と、徐々にそれらの症状が現れて死ぬのである。
     きわめて迅速に、急性に現れて死に至るものを激症とし、中等度症、さらに死ぬまでに至らしめないものを弱症とする。激症から弱症まで千差万別、実にその人の抵抗力、年齢によって雑多であった。ただはっきり言えることは、爆心地からの距離に比例して照射の量がきまるということであった。
     爆心地は明瞭ではなかった。しかし本尾町、橋口町、浦上天主堂の付近、上野町の人びと、彼らは、私の見たところ激症であった。信愛女学園(常清女学校)の修道女たちもみな激症、本原町一丁目付近の人びとは、これについで症状が激しかった。火傷や、傷の手当にばかり専念していた私は、ここで放射能症、原爆症を考えねばならなかった。

     私、婦長、岩永修道士、村井看護婦なども、八月十五日頃から疲労が加わってきた。私ははじめ、「野宿は疲れるものだ」と思い、一週間近く病院の庭にごろ寝したことを、全身叩かれたような疲労の原因と考えた。私は放射能症、原爆症を知らない。しかし、ここで自分の身体の疲労や自覚症状を考えてみた。私はかつて、長崎医大付属病院の永井助教授が部長をしていた放射能教室に、一年間、助手として勤務したことがある。
     X線の診断治療をした時に、「レントゲン宿酔」という症状があった。子宮癌、乳癌の転移巣にX線深部治療をする。一日、二日と連続して照射すると、患者は一種の病的症状を起こす。これは「レントゲン宿酔」(レントゲン・カーター)と呼んでいた。当時医師不足で診療数が多く、私は疲労していた。一日に二人、三人と消化管のX線透視をする。月曜日から始めて金曜日まで診療を続け、土曜日は休み、整理とか抄読会をする。私は生来虚弱体質だったせいもあるが、金曜日ごろになると何だか気分が悪くなった。「ああ、それはレントゲン・カーターだ」と先輩から教わった。
     八月十五、六日ごろ、私は自分の症状が、このレントゲン・カーターに酷似していることを明瞭に自覚したのである。
     レントゲン放射線は、古典的物理学の言い方をすれば、波長のきわめて短い電磁波である。人間の細胞を透過する。しかしラジウム放射線と同じく、多量であれば人間の細胞を破壊する。レントゲン放射線に破壊される細胞は、分裂が盛んに行われる組織細胞である。幼弱細胞、生殖細胞、骨髄細胞――とにかく生命現象の営みの盛んな細胞は、レントゲン放射線によって壊死する。
     私はここまで原爆症を理解した。しかし原子爆発がいかなる放射線を生ずるか知らない。「ラジウム放射線か、レントゲン放射線、ガンマー線、そんな放射線だろう。その放射線が人間の造血組織、骨髄組織を破壊したのだろう。だから紫斑病みたいな患者が多いのだ」私の診断と推理はここまであった。
     私には血球計算器もなく、血球染色して顕微鏡で見る余力も装置も全くなかった。ただ想像と推理だけであった。私はさらに「レントゲン宿酔」の治療法を思い起こした。かつて私は、レントゲン教室で患者がカーターになったり、自分がカーターに苦しんだとき食塩水を飲んでいた。生理的食塩水より少しよけいに塩分を含んだ塩水の飲用を患者にも命じた。そうすると私自身、気分がよくなった。それは当時、レントゲン教室で研究し、働いていた人びとの常識であった。
    「爆弾を受けた人には、塩がいいんだ。塩が、効果があるんだ」
     私に、新しい生物物理学、原子生物学の知識はない。書物や論文はなにもない。それでもこの秋月式の栄養学に信念を持ってきた。秋月式栄養学=ミネラル栄養学である。この時のミネラル栄養学を端的に表現するならば、食塩、ナトリウムイオンは造血細胞に賦活力を与えるもの、砂糖は造血細胞毒素ということになる。
     この考え方は、私が長崎医大の放射線教室にいた時、患者や医師や技術者にしていたレントゲン・カーターの治療に一致する。そしていま、この原爆症にも私のミネラル栄養論がそのまま役に立つのではないか。私の胸中に信念にも似たものが湧然とわいてきた。「玄米飯に塩をつけて握るんだ。からい、濃い味噌汁を、毎日食べるんだ。砂糖は絶対にいかんぞ!」
    ――中略――
     この時の私にひらめいたミネラル原爆症治療法は、私自身と、周囲の私を信ずる人びとの間には行われた。
     その後、永井先生のビタミンB1・葡萄糖論の治療法。長崎医大影浦教授の「柿の葉煎汁療法」のビタミンC大量法。あるいは酒、アルコール治療法など種々の原爆病治療法が現れた。
     しかし私は、このミネラル治療法のためこれまで生きながらえ、元気に病院で医師として働いてこれたのだと信じている。私はきわめて虚弱体質であり、千八百メートルの距離で原子爆弾を受けた。致死量の放射能でなかったのかもしれない。しかし私や岩永修道士、野口神学生、婦長、村井看護婦その他の職員や、入院患者は、被爆の廃墟の死の灰の上で、その日以来生活したのである。
     その人びとが、もちろん疲労や症状はあったであろうが、それを克服して元気に来る日もくる日も人びとのために立ち働き、誰もこのために死なず、重い原爆症が出現しなかったのは、実にこの秋月式の栄養論、食塩ミネラル治療法のおかげであった。
     私とその周囲の人びとは、それを信じている。学会ではたとえ認められなくとも。(350頁〜357頁)


    「体質と食物」
     で、ほとんど味噌汁のことばかり書かれてあるのが、こちらの「体質と食物」です。
    食養生、食物の研究を巡りめぐって、味噌にたどりついた。味噌は、日本人の食物のかなめであると知った。これは、日本の国土、日本人の体質によって受け継がれた伝承のものである。
     ある思想家がプラトンからスコラ哲学、カント、へーゲル、マルクス、ベルグソンを遍歴して道元、親鸞に帰したのに似ている。
     味噌は科学以前のもであった。しかも科学によって証せられるものである(2頁)。

     秋月さんは、もともと多病虚弱で、これを克服しようと医学を志したのですが、現代行われている治療医学が、多病虚弱の秋月さんを満足させないと悟ります。
    戦争中であって、国内に医師が不足していたので、私は三ヶ月の安静をしたのみで、病床を脱した。そして医師として働き出した。結核であったにもかかわらず軍隊に入隊したり、原爆に被爆したりした。その間、相当以上の無理をした。病弱であったが、わかめと揚げを実とした味噌汁が私の身体の要であるから、自分の病巣は悪化しないという確信があった。
     また事実その通りでもあった。
     昭和二十年八月九日の原子爆弾は長崎市内を大半灰燼にし、数万の人々を殺した。爆心地より1.8キロメートルの私の病院は、死の灰の中に廃墟として残った。私と私の病院の仲間は、焼け出された患者を治療しながら働きつづけた。
     私たちの病院は、長崎市の味噌・醤油の倉庫にもなっていた。玄米と味噌は豊富であった。さらにわかめもたくさん保存していたのである。
     その時私といっしょに、患者の救助、付近の人びとの治療に当たった従業員に、いわゆる原爆症が出ないのは、その原因の一つは、「わかめの味噌汁」であったと私は確信している。
     放射能の害を、わかめの味噌汁がどうして防ぐのか、そんな力が味噌汁にどうしてあるのか。私は科学的にその力があると信じている。
     もし人体実験が許されるのなら、実験してもよろしいとさえ思っている。
    ――中略―― 日本人にとって、味噌は特に良質の油脂とミネラルの供給源であるから、私たちの放射能の害を一部防御してくれたのである。この一部の防御が人間の生死の境において極めて重要なのである(21頁〜24頁)。

     味噌汁を食べ始めたからといって、すぐに病気に効くものではない。副腎皮質ホルモン、抗生物質のように今すぐ効果のあるものではない。
     毎日欠かさず味噌汁を食べていると、体質がいつの間にか、病気に負けない体質になっているのである。薬の効きやすい身体になっているのである(28頁)。

  • 2015.11.02 Monday
  • 19:06
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「黒い雨」(井伏鱒二 新潮文庫)


    内容(「BOOK」データベースより)
    一瞬の閃光とともに焦土と化したヒロシマ。不安な日々をおくる閑間重松とその家族…彼らの被爆日記をもとに描かれた悲劇の実相。原爆をとらえ得た世界最初の文学的名作。


     井伏鱒二さんの「黒い雨」(新潮文庫)を読みました。若い頃に一度読んだので二度目になります。
     このたび読んだのは、二十数年前のバブルの頃、アルバイト先の本屋の奥さんや弁護士A相手にしゃべり込んだとき、原爆投下後の広島のことを、「8月6日、9日と言ったら真夏ではないか。ピカドン一発で10万人死んだ。その死体が、真夏の炎天下の中、丸一日丸二日置かれたときの臭いたるや。筆舌に尽くしがたいとはこのことだろう」と、本書「黒い雨」を引き合いに出したので、「この学校……」「弁護士A……」を書き上げるにあたり、内容確認のためです。
     この種の内容を、淡々と描写で綴り続ける井伏さんの気力胆力のおかげで、広島の様子を知ることができました。もう少し広島長崎のことを勉強しなくてはと思いますが、私に差し迫った問題としてあるのは両親から耳がタコができるほど聞かされている東京大空襲です。これを調べないと「この学校」「弁護士A」を完成させることができませんのでね。
  • 2014.10.13 Monday
  • 17:35
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「オレたちバブル入行組」(池井戸潤 文春文庫)

    内容紹介 ドラマ『半沢直樹』原作本! (TBS日曜劇場7月7日~) 崩壊した銀行神話。給料は下がり、ポストも減り、逆境にさらされるバブル入行組の男たちの意地と挑戦を鮮やかに描く痛快エンターテインメント小説。 内容(「BOOK」データベースより) 大手銀行にバブル期に入行して、今は大阪西支店融資課長の半沢。支店長命令で無理に融資の承認を取り付けた会社が倒産した。すべての責任を押しつけようと暗躍する支店長。四面楚歌の半沢には債権回収しかない。夢多かりし新人時代は去り、気がつけば辛い中間管理職。そんな世代へエールを送る痛快エンターテインメント小説。
    ★ ★ ★
     池井戸潤さんの「オレたちバブル入行組」(文春文庫)を読みました。主人公の半沢直樹や大学同期の学生たち5人が産業中央銀行の採用内定を取ったのは1988年9月で入行は99年4月です。「バブル・ピークの狂乱が始まる直前、五人の学生たちはそれぞれに夢を抱き、希望に胸を膨らませて銀行の門をくぐったのだった。これから何が起きるとも知らずに。」と序章に書いてあるから、そのままバブル期ピークと崩壊後の銀行の内側が読めるだろうと思っていたのですが、違いました。ま、この頃のことを書いた小説なら他に数多く出ているだろうから、それを読めばいいんですけどね。  で、この作品で描かれているのは、半沢直樹たちが入行したバブル期の16年後です。16年後とは2004年〜2005年なわけで、その頃の私は、おばちゃんを老人ホームに入居させたり、救援新聞豊島版をパーソナル編集長で作るようになったり、歯医者の霊につかれたりししていたんですね。「ここ数年の景気回復はウソだった」という情報がネットで流れたのは2008年3月ですが、ウソだろうと何だろうと日本が平成の大不況から脱出したのは2003年7月だから、「(半沢直樹は)竹下とともにキタの新地を歩いていた。午後九時過ぎ、多少景気が上向きになったせいか、人通りの絶えない繁華街を歩いて、小ぎれいなビルの前に立った。(344頁)」は本当のことと思います。この辺の経緯に詳しいんですよ、私。   この作品はテレビドラマになっていて、視聴率も高いようです。それにしても半沢直樹のような正義感の強いタイプは主人公にふさわしい。姑息なのはダメですね。
  • 2013.09.09 Monday
  • 16:08
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「とってもやさしい英文解釈」(大岩秀樹著 旺文社)


    内容紹介
    「英文法」が英語のルールを学ぶ学習だとすれば、「英文解釈」は「英文の意味を正確に理解する」学習です。
    つまり、「英語長文」を読む基礎になるのが「英文解釈」なのです。
    本書では、見て目が似ていても意味のとり方が異なる英文や、主語がわかりづらい英文などをとりあげ、やさしい解説と書き込み式の問題で「英文解釈」のトレーニングをします。
    〔基本のおさらい〕で基礎からきちんと学習でき、いくつかの単元のあとには〔練習問題〕でしっかり復習ができます。
    文法や単語を勉強しても英文の意味がよくわからない、苦手な長文を克服したい! 、そんな方にオススメの1冊です!


     旺文社の「高校 とってもやさしい英文解釈」を一冊終了しました。「こんなことやってたの?」と思われるかもしれませんが、やってたんです。英語読み物を読み始めてみると、英文法の参考書や英和辞典だけでは足りない英文解釈力を痛感し、4日に小千谷のM子ちゃんと墓参した帰りに池袋のバドミントン専門店ではなく、ジュンク堂へ行って、この「とってもやさしい英文解釈」を買ったのです。英語学習初級者がつまづきやすい点を、簡潔に分かりやすく解説されていて、薄手の問題集で、一週間かかりませんでした。英語読み物を読み始めるのは、この問題集を片付けてからのほうが利口と思います。
  • 2013.07.09 Tuesday
  • 14:52
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