歯医者の霊がついている(3)

    この記事の続きです。


      まず第一に、ウパニシャドは、宗教生活の目的を、根本的に新しい考え方によって打ち出している。聖人、賢人は、富や健康や長寿を求めるのではなく、果てしない再生の循環からの離脱をひたすら求める。これがうまく行けば、彼の魂は、その根源である一切者の中に溶け込むことが出来、生の苦悩も、災難も、不完全さも見事に超越してしまうわけである。
     第二に、神官に服従したり、儀礼をとり行うだけでは、輪廻転生から解放され、神聖さを身につけることはできない。真の聖人は仲介物など必要とせず、したがって神々もいらない。そうではなく、自己陶冶、瞑想、禁欲、日常生活問題からの離脱などを実行して、宗教的苦行者は成功をおさめれば、神秘的な真理を見ることができる――その姿を見るものは清められ、幸福を得る。この神秘的な洞察の性質と内容は、けっして言葉では表せない。それは、個人の魂と宇宙の霊の間に道を通じて、真理の姿を明らかにするものであった。そのような経験は、人間の悟性や日常的な論理を超越したものであり、聖人賢者の生活の研究目標である、一切者への自己没却の醍醐味をあらかじめ味わわせてくれるものであった。

    (「世界史 上」ウィリアム・H・マクニール 中公文庫 P156)

     私は肉体から魂を切り離し、時空の概念のない宇宙へ自分でも行ったし、人を連れて行ったこともあります()。誰を連れて行ったかというと、新宿の美容室で働きながら池袋の歯医者に一年半通ったとき、歯医者と矯正の先生と髪の長い女の子を、要するに一切者の中に溶け込ませたんですよ。私は聖書を読むので、「神」「天国」という言葉を使いましたけど、一切者とも交点Oとも言えるのです。
     どういう脈絡でそうなったのか、前後の記憶は定かではないのですが、死は消滅ではなく、魂は肉体から解放されて天国に行き、永遠に生きるというようなことを私がしゃべったら、彼らがアレコレ聞いてきたので、連れて行って見せたのです。「ここが天国だよ」と。
    「いまあなたは断定的に言いましたけど、行ったこともないのに、どうして断定できるんですか」
    「行ったことないって誰が言いました?」
    「あるんですか?」
    「ありますよ」
    「それはいつですか? いつ行ったんですか?」
    「いつって言われても…、何度も行ってるから」
    「何度も行ってる! それはどうやって行くんですか?」
    「階段を上るように上って行くんです」
    「どこから行くんですか?」
    「どこからでも」
    「ということは、ここからでも行けるのですか?」
    「行けますよ。行ってみます?」
    「私たちも行けるんですか!?」
    「行けますよ。行ってみます?」
    「戻ってこれるんでしょうね」
    「戻れますよ。私は何度も行ってるんですよ。戻ってるから、あなたがたと、こうやってお話ししてるんじゃないですか。行ってみます?」
    「本当に戻れるんでしょうね」
    「戻れますよ」


    (続く)
  • 2010.06.29 Tuesday
  • 08:40
  • 歯医者の霊がついている
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  • 2017.10.22 Sunday
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