御射山先生との思い出 池袋のお部屋

    過去記事「御射山先生と思い出 ―于颪」で書いたように、私は昭和62(1987)年に0学開祖の御射山先生との出会い、御射山先生の紹介で美容室で働くようになりました。
     で、開店10時閉店9時の美容室で働きながら、空いた時間に歯医者に通ったり、本を読んだり、数学を勉強したり、大塚の家を売ったり、新しい家に引っ越したり、おばちゃんの裁判に引っ張り出されたり……していたのですが、私は0学のお勉強もしていたんです。御射山先生とは、
    「私がテレビに出たら、売れっ子占い師になれる?」
    「なれるさ!」
     という話をしたこともあります。こういう話をどこでしていたかというと……池袋の0学院から徒歩5分ほどの、とあるビルの4階の御射山先生のお部屋です。
     0学院では、昼間は教室で生徒さんに授業をし、お客さんの相談は夜になることが多かったようです。私が御射山先生を訪ねるのも、夜9時に美容室を閉め、レジを閉め、私服に着替えてからなわけで、どうしても10時近くになってしまいます。私ばかりでなく、そういう時間に御射山先生を訪ねるお客さんは多いようで、そういうお客さんが帰るのは午前0時、1時なので電車が止まってしまう。タクシーで帰宅していたこともあるけれど、度重なるとタクシー代も馬鹿にならない。0学院教室・事務所のソファで寝ることは出来ても、風呂はどうする? ……というわけで、池袋の0学院から徒歩5分ほどの、とあるビルの4階に御射山先生がお部屋を借りたのです。そして御射山先生の指導で、同じビルの3階に私もお部屋を借りました。私の場合も、夜の9時10時まで新宿で働き、それからお店の相談や0学の勉強で御射山先生を訪ねると、終わりは午前0時1時になってしまうから、やはり御射山先生のそばにいる必要があったんです。
     御射山先生は結局、4階のお部屋と0学院の、徒歩5分の往復も億劫になり、教室・事務所と寝泊りするお部屋が一緒の新宿御苑のマンションに移ってしまいました。
    「真理子も新宿においで」
     と、誘われたこともありますが、私は新宿には行きませんでした。次兄が亡くなって母が落ち込むようになり、母に代わって私が台所をする必要が出てきたこともあって、私は美容室を退職し、我が六畳間のある我が家に落ち着くことになります。

  • 2007.01.25 Thursday
  • 14:32
  • 御射山先生との思い出
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  • 2017.08.19 Saturday
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