御射山先生との思い出 Σ判

     御射山先生との思い出の第六弾です。
     
     第一弾で書いたように、1987(昭和62)年の5月か6月か7月か……に、私は御射山先生と出会いました。就職の面接だったのですが、その際先生には私の生年月日と亭主の生年月日を聞かれ、私と亭主が一つ屋根の下に一緒にいてはならない関係であることが分かりました。その1987年はウサギ年(0学ではウサギ座と言います)で、ウサギ年ならまだしも、翌年の龍年にかかると惨事を招きかねないので、ウサギ年のうちに家を出るように御射山先生に指導されました。
     御射山先生に言われるまでもなく、亭主と一緒にいることの危険性を私自身が感じ取っていて、「別れよう」「家を出よう」と数年前から思っていて、「いつ」行動しようかと迷っていた折、アルバイト先の本屋さんで細木数子の占いの本を読み、行動を起こすのはウサギ年と私は自分で決めていたのです。
     そしてウサギ年(1987年)の1月に、本屋の奥さんとバブル経済の話やら聖書の話やらを二時間ほどしゃべりこみ、そのすぐあとに退職。3月には弁護士Aのところに面接に行き、一時間しゃべりこんで、再開を約束してそのまま帰り、5月か6月か7月に、御射山先生と出会ったわけです。
     で、亭主と一緒にいることの危険性を感じ取り、「別れよう」「家を出よう」と母や兄に相談しても、母や兄は「どうしたもんかね、困ったね」「待ってろ」だのと言うばかりで、埒が明かない。そこから先に話が一向に進まない。そして家を出ようにも私には当座のお金がない。しかし時は刻々と辰年に向かって流れているわけで、これ以上グズグズしていられないと、敷金だの礼金だの、アパートを借りるのに必要なお金を御射山先生が貸してくれ、私は家出を決行したのです。「月1万円でも5千円でも、働きながら返せばいいから」と、御射山先生には言われたし、私もそのつもりでいたのですが、
    「いろいろ心配かけたけど、アパート借りて引っ越しも済んだし、働き口も見つかったから、もう大丈夫」
     と母に言うと、
    「引っ越した? お金はどうしたんだい? おまえ、お金ないんだろ?」
    「ちょっとね、貸してくれる人がいたものだから」
    「誰なんだい?」
    「ミサヤマっていう占い師」
    「おまえね、親がいるっていうのに、親がいるっていうのに……、知らない男から金を借りるなんて、バカやってんじゃないよ。とにかくその占い師に会わせろ」
     と、池袋の0学院に出かけて行って、そのお金を母が返してしまったのです。母は「親がいるっていうのに、親がいるっていうのに」と言うけれども、親だと思うから散々相談してたんですよ。一番困っているときに、肝心なときに手をこまねいているだけだから、話が他所(よそ)へ流れたんじゃないですか。とは言っても、この一件で、「おまえにお金を借りる力があるのか。人間、そうそう、お金なんか貸しゃしないよ」と、私は母に見直されましたね。
     とにかく1987(昭和62)年のウサギ年には、いろんなことがありました。この年に行動を起こしたことが、いまの私につながっているのですから、0学に出会えて本当に良かったと思っています。

     
  • 2007.06.17 Sunday
  • 05:21
  • 御射山先生との思い出
  • comments(0)
  • trackbacks(0)

    

スポンサーサイト

  • 2017.10.22 Sunday
  • 05:21
  • -
  • -
  • -

    
コメント
コメントする
(承認制です)








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック
(承認制です)