おばちゃんの裁判と永遠の迷い

     久々の「御射山先生との思い出」です。前回が【この記事】ですから、四年以上開いています。
     平成2年3月に大塚の家を売却しました。これはバブル期の最高高値で売ったことを意味します。で、この大塚の土地は、借地ではあるが祖父が手に入れたもので、祖父の名義になっていた物を、祖父が亡くなって相続問題が起きたとき、長男(私の父)と娘たち(父の妹たち=おばちゃんたち)とに分筆され、おばちゃんたちの方は持ち分三分の一ずつの共有名義になりました。平成2年の大塚売却時、父はすでに亡く、父から母が相続し、私たちの方は母の名義になっていました。これを底地ごと売却したため、代金は、地主さん・わたしたち・おばちゃんたちで概ね三分の一ずつ受け取っています。このお金で私たちは豊島区○○に土地を買い家を建て、次兄一家のために志木のマンションを買ったのですが、おばちゃんたちのほうでトラブルが発生しました。
     どんなトラブルか、詳しくは書きませんが、おばちゃんたちは、大塚を売却したお金で国分寺に広い土地を買い、大きな家を建て、みんなで仲良く暮らすはずだったのに、一緒に暮らし始めたら、何かにつけ折り合い悪く、おばちゃん(いま老人ホームに入ってる)が家を飛び出し、東中野のマンションで一人暮らしを始めた。しかし大塚売却のお金は国分寺の家に化けてるから、これをどうにかしろというものです。新しいお家ができる前に、一番上のFおばちゃんは亡くなっていて、Fおばちゃんが残した物をどうするか。これも揉め種でした。
     この裁判に私が引っ張り出されたのは、裁判が始まってから一年ほど経ってからのことです。この頃の私は、池袋の、とあるビルの三階のお部屋から、開店10時閉店9時の新宿の美容室に通っていて、ときたま家に帰ると、母から「今日は一時間だよ」「今日は二時間だよ」と、おばちゃんの話を聞かされていたのです。要するにおばちゃんは、ほぼ毎日のように母に電話をかけ、もう一人のおばちゃんや、その息子や嫁さんの悪口を延々としゃべってた。そうこうするうちに弁護士の悪口まで言い出したようです。そんなこんなが一年近く続いた頃のこと。私が家にいるときに、電話が入ったので、受話器を私が母からもぎ取って、「私がなんとかする。一度会おう」と言ったのです。そして弁護士や税理士や不動産屋におばちゃんを引き合わせたのです。
     さて、この裁判に関わるようになってしばらくして、四階の御射山先生のお部屋で、
    「おばちゃんの裁判に引っ張り出されて大変だ」
     と、ぼやき、詳細を話したら、
    「いよいよ始まったか。あらかじめ言っておく。この裁判、お母さんもお兄ちゃんも関係ない。弁護士も裁判官も関係ない。お前が出ればまとまる。出なきゃまとまらない。永遠の迷いにハマるだろう」
    「死ぬまで続くの?」
    「バカ。永遠って言ったろう。死ぬまでの、どこが永遠だよ。この裁判はね、平成二年の大塚の家の売却の延長線にある。あれは、お前の才覚でまとめたものだ。あんな芸当のできるヤツいるかよ。お母さんもお兄ちゃんも、おばちゃんたちも、みんなお前にぶら下がってるだけで、才覚なんてないもん。しかし話を聞いていると、勝ち目ないね。こんな話にかかわるなって言いたいところだけど、おばちゃんじゃしょうがないか。そうだ。いいこと教えてやろうか。この裁判、長引けば、こっち有利。さて、長引かすことができるかねぇ」。
     その数年後。四階のお部屋でまた、
    「おばちゃんの裁判がグチャグチャで大変だ」
     と、ぼやいたら、
    「いまなんて言った? おばちゃんの裁判って言った? とっくに潰れてんのかと思った。まだやってんの?」
     その通り。あの裁判、私がいたからなんとかなったんですよ。おばちゃんがいま老人ホームに入っていられるのは、あの裁判で頑張ったおかげ。平成二年に大塚の家を売却したおかげなんですよ。氏族の指名(使命)者のおかげなんですよ。  
  • 2013.01.11 Friday
  • 23:37
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