弁護士会館ではどうですか

     昨日、「根津では何か計画を?」という記事を書きました。これはいまから12年前のことですが、更に6年さかのぼる、まだ私が文学学校生の2000年9月頃、弁護士会館で集まりがあったようなのです。
     2000年の7月〜8月、文学学校Y先生のクラスで、夏の合宿の話が持ち上がっていました。大体そういう話は教室ではなく、終了後に居酒屋で出るのですが、先生やクラスの人たちが合宿の話をしていても、私は参加する気はありませんでした。なぜなら、次兄に死なれて、急速に衰えだした母にとって鍋釜は重く、台所仕事ができなくなっており、長時間外出、特に泊りがけというのは、そう簡単にできることではなくなっていたからなのですが、そうこうするうちにY先生から、「料理は真理子さんが担当してくれます。作ってくれます」とかなんとか書き込んである合宿の案内が私のところに届いたのです。私は、「冗談じゃない。それでなくても母が台所仕事をできなくなって、家でオサンドンに明け暮れているのに、そんなところまで行って、そんなことやらされてたまるかよ。事情も聞かずに、勝手なこと書いて!」と、怒り心頭に発し、合宿には当然行かなかったのですが、その直後の文学学校・居酒屋帰り際に先生から、「裏切り者! 裏切り者! ああまで書いても来ない。裏切っちゃいかんのだ!」と叱責された私は、「バカバカしい。つきあいきれない」と、踵を返して帰路につきました。
     そんなことが文学学校であった前だか後だか記憶は定かではありませんが、救援会都本部に行ったら、布川事件担当のYさんから、「○月○日(2000年9月○日?)に弁護士会館の講堂で集まりがあるの、来るでしょ?」みたいなことを言われたのです。そんな集まりのこと、誰からも聞いていなかったので、私は怪訝そうな顔をしたにとどまった記憶があります。また私は前年(1999年)から支援していた痴漢冤罪O事件を書いた「A事件 弁論要旨の要旨の要旨」を、文学学校に合評作品として提出したものの、Oさん本人には送っていなかったのを、ご本人に送ったのもこの頃と思いますが、「裏切り者! 裏切り者!」と私の事を言っていた先生やクラスメイトの矛先が、その直後からH君に向けられるようになってきたので、弁護士会館講堂で、何かの集まりがあった事と関係しているのではないかと思うのです。いまに至るまで、誰からも何も聞いていないので、何があったのか私は存じません。
  • 2018.06.16 Saturday
  • 16:41
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